
曲の歌詞の中には、そのままというものもありますが、解釈の仕方によっては、別の解釈もできるのではないかという曲もたくさんありますし、そもそも人によってその解釈は何通りもでてきそうな曲もあります・
もちろん、その曲の解釈は、曲を聴く人が勝手にすれば良いことであって、だからこそ面白いのかもしれません。
以前、職場の人に大江千里さんのファンがいて、いろいろと紹介されたのですが、その大江千里さんのヒット曲の1つに『きみと生きたい』という曲があります。
ときどき、ギターで弾き語りをしたりすることもある曲です。
独特のピアノの調べから始まる前奏に続いて
♪悲しまないで きみを責めないで 真面目に生きてるのに悩まないで~
と始まるこの部分が気に入ったのですが、曲はさらに
♪激しさだけの 若さはいらない 無口なほど情熱を感じるから~
と続いていきます。
この曲は、『きみと生きたい』というタイトルからもわかるように、気になる人がいて、その人とこれからの人生を共にしていきたいなという曲になります。
そこで、この曲の解釈を自分なりに考えてみました。
日本語は、漢字とひらがなとカタカナが使われますが、『きみ』を表現するには、『君』でも『キミ』でも可能性はありますが、『きみと生きたい』では、タイトルでも歌詞の中でも全て『きみ』そして『ぼく』を使っています。
いろいろな曲のタイトルや歌詞を調べてみると、『君』を使っているものも『キミ』を使っているものもあります。
『きみ』をひらがなにすることで、後半の『生きたい』という漢字の部分がより際立ってくるので、『生きたい』の部分を目立たせたい場合は、こうしたテクニックを使う場合があるという人もいます。
それ以外には、『君』とすると、漢字の重い雰囲気や形式ばった雰囲気が出てしまい、「君主」というような偉そうなイメージも出てきてしまいます。
『キミ』にすると、なんか外国人が「Hey、そこのキミ」というようなノリになってきそうな雰囲気です。
『きみ』だと、なんか優しい感じ、女性らしい感じが出せるというところもあるのでしょう。
実際のところは、大江千里さんに聞いたわけではないのでわかりませんが、タイトルや歌詞にこだわる人は、こうした『きみ』という文字を漢字にするか、ひらがなにするか、カタカナにするかまでこだわるのかもしれません。
『きみ』は、女性に対しても男性に対しても使われる言葉ですが、ここでいう『きみ』は、歌詞で他に『ぼく』という言葉が出てくるので、普通に考えれば、男性が女性に向かって『きみ』としていると考えるのが妥当でしょう。
中には『僕っ娘』の女性は1人称で「僕」を使いますが、その場合だったら雰囲気的に『ボク』、『キミ』とカタカナで表記したほうがピンとくる感じがします。
さて、『きみ』が女性だということで話を進めていきましょう。
歌い始めの
♪悲しまないで きみを責めないで 真面目に生きてるのに悩まないで~
をそのまま解釈すると、「真面目に生きている女性」ということになります。
そして、何に対してかはわかりませんが、「自分を責めて、悲しみ悩んでいる」ということになります。
そして、
♪激しさだけの 若さはいらない 無口なほど情熱を感じるから~
の部分で、若くはない、少なくとも10代ではなさそうだということと、無口だけど一生懸命な人というイメージがでてきます。
♪肘があたるとビールがゆれる~
肘があたったのだから、その場には少なくとも『きみ』と『ぼく』がいると想像できます。
そして、
♪染みた髪が前後にふるえている~
染みたという文字から、髪を染めているんだなと考えられ、「ふるえている」という表現から、悲しみか恐れかのどちらかの感情が推測されます。
ただ単に、肘があたった反動や風によって髪が動いているならば、「髪がふるえている」とは言わず、「髪がゆれている」でいいと思います。
そして、悲しみの感情なのか、恐れの感情かなのですが、もし恐れでふるえているならば、身震いなどをして前後というよりは左右にふるえると思います。
哀しみの感情ですすり泣いているような場合だと、前後にふるえそうな感じがしますので、ここでの心情は悲しんでいるととるのが自然な感じなのではないかなと思います。
それは、次に出てくる歌詞ではっきりします。
♪淋しさだけをまぎらすために 愛することを誰も奪えない~
さあ、ここでのポイントは『淋しさ』です。
『さみしさ』、『寂しさ』、『淋しさ』の中から『淋しさ』が選ばれて使われています。
『寂しさ』というと、何かが欠けている物足りなさ、物悲しい様子というニュアンスがあります。
『淋しさ』というと、涙を連想させるような悲しさや心細さというニュアンスがあります。
『さみしさ』とひらがなで書いてしまうと、どちらかわかりません。
涙を連想させるような悲しさや心細さということを表現したかったからこそ『淋しさ』という文字が選択されているということは、その直前にある歌詞の淋しさですすり泣いていることで『髪が前後にふるえている』という表現ともピタリと一致してきます。
この曲をより一層深いものにしている部分が、
♪きみに逢えてから本当の孤独が 優しさにあると知ったよ~
の部分だと思います。
文字通り素直に考えると、無口でうまく自分を表現できない『ぼく』のことが好きな『きみ』が、なかなか思いを伝えられず、そして『ぼく』が他の女性と一緒にいるところかなんかを目撃してしまい、「私なんか・・・」と悲しみ、悩んでいる。
そして思い余って泣いてしまっている。
後にでてくる
♪いつも肝心な場で 正直じゃないきみが好きさ
という歌詞からも、好きと素直に言えず悲しみ悩んでいる『きみ』が愛らしい『ぼく』というとらえかたができます。
そして、そんな『きみ』を傷つけないためには、他の女性などとつるまずに、孤独でいるということが優しさにつながるんだということを、あらためて気づいたという解釈です。
孤独と優しさ、奥深い言葉が2つも出てきたので、もう少しひねって考えてみると別の視点が見えてきます。
瀬戸内寂聴さんは、「人間的な優しさは、自己の孤独にどっぷりつかり、浮かび上がってきた人間にしか生まれません。」と言われています。
『孤独は愛と仕事を生む』長沢節という本の中では、『本当の孤独を知ったとき、優しさが私のなかで息を吹き返した』という表現も出てきています。
人は、人間としての限界を受け入れ、自分の弱さや脆さを受け入れて生きる覚悟を持った時、本当の孤独を知るといわれています。
そしてその本質を知ることで他者の本質に潜む弱さや脆さに触れることができ、だからこそ人にも優しくできるのだそうです。
もし、
♪きみに逢えてから本当の孤独が 優しさにあると知ったよ~
の部分で、『きみ』はとても頼れる優しい女性で、いつも相談しても「私はいつも、ここにいるからね」というような包容力がある人という解釈もできると思います。
真面目で無口で頑張り屋さん、他人に対しても滅多に弱音なんか吐かない。
そんな『きみ』がはじめて、悲しんで自分を責めて悩んでいる姿を見せている。
『ぼく』の目の前ですすり泣いている。
真面目で無口な故に、きっと苦しくても誰にも頼れずに頑張ってきた『きみ』
でも、久々気が緩んで『ぼく』の前で泣いている。
そんな『きみ』を見て、『ぼく』を含め、優しくしてくれていたのは、誰にも頼れず孤独でいろいろ背負ってきたからこそ、他人の痛みや悲しみもわかるからなんだと気づいた『ぼく』
そんな孤独を隠し、他人のことを思いやる優しい『きみ』、いつも肝心な場で、正直じゃない、そんな『きみ』のことが好きなんだという解釈もできるのかなと思います。
そして、『ぼく』の前で今まで隠していた内面をみせてくれた『きみ』
だからこそ
♪これからもう離せない きみだけにわがままでいる
というように、『ぼく』も『きみ』だけにわがままでいると、心の距離を縮めたともとれないでしょうか。
まあ、ちょっと強引な解釈かもしれませんが、いろいろな曲の歌詞を自分なりに解釈してみるというのも面白いかもしれませんよ。
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